2013年1月30日水曜日

敬老とは?

混雑した電車のシルバーシートの前で吊革につかまりながら、先日、ある食事会で出た世代間格差の話を思い出しました。
「高齢世代の中に、自分たちが受けているさまざまな受益は当然の既得権だといわんばかりの人がいるけど、少しは若い世代への配慮を持つべき。」そんな話をしていた時、「でも、高齢者を敬うという気持ちを子供に教えることは大切なのではないか?」という投げかけをした人がいました。


あらためて、老人を敬愛すること、つまり敬老精神とは一体、何なのでしょうか?
私も、こどもの頃に「お年寄りを敬いなさい」と教えられました。また、ごはんを食べるときには「お百姓さんに感謝して、残さずいただきなさい」とも言われました。子どもの私は、「誰かの生産活動のおかげで、自分が今ここに存在したり、ごはんを食べている。そのことに感謝をしなさい」ということだと理解していました。

でも、「敬老の日」は国民の祝日ですが、「敬農の日」はありません。日本では敬老精神は特別なもののように扱われてきた面があって、それは、長幼の序という文化概念によるものではないかと思います。それは年 長者と年少者との間にある秩序を現わす概念で、「子供は大人を敬い、大人は子供を慈しむというあり方」で、若者が一方的に高齢者を尊敬するというものではなく、高齢者から慈しまれる存在として、そのことも含めて年上の方々を敬おうという文化であると思います。

年下の者が敬うと同時に、年上の者が慈しむのが人間関係なのですから、一方通行の関係であってはならないし、年上の者にも敬われるにふさわしい器量なり、相応の態度が求められて当然だということになります。

 「敬老の日」の法的定義は「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う日」です。
人が「老いていくこと」への敬意とは、すなわち「生きること」への敬意の象徴ではないかと思いますし、同時に、祖父母から親、そして自分へとつながる連続性への敬意であり、自分から子や孫につなげるべき連続性への責任にもつながると思います。
生きて、何かを生産し(つまり、社会につくし)、次につなぐ。その循環の象徴として、お年寄りを敬うという文化があったのではないでしょうか。それは、「今現在のお年寄り」だけを敬うこととは少し違うのではないかという気がします。

団塊世代を中心とする60代以上の生涯純受益は「プラス4000万円」である一方、10代以下の将来世代の生涯純受益は「マイナス8000万円」。将来は、若者一人がお年寄り一人を支える肩車型になる。そんな数字が頻繁に報道される状況でも、自分の権利を主張する高齢者がいたとしたら、やはり、心から敬う気にはならなくても仕方ないのではないでしょうか?(数字は、厚生労働省のデータによる。くわしくはこちらに書いています)

もうひとつ、敬老という時に、「お年寄りを大切にする」=「弱者にやさしくする」というニュアンスが含まれているように思います。
例えば「お年寄りに席を譲りましょう」と子どもに教えることはいいかもしれません。でも、それは、高齢者だけではなく、障がいのある方や子供連れのお母さん、もしかしたら疲れ切ったビジネスマンに対しても、同じく向けられていいもののはずです。
薄給の深夜勤務でくたびれ果てた非正規労働の若者や、ぐずる子供に困っている母親を目の当たりにして、「わしは年寄りだから当然」と席に座る高齢者がいたら、敬う気にはならないのではないでしょうか。今の世代間格差は、いわば、それと同じような状況だと思います。本当の弱者は誰なのか?それが見えにくい時代なのかもしれません。



「多年にわたり社会につくしてきた老人を敬愛し、長寿を祝う」
そのことに異論はありませんが、少なくとも、「お年寄りを大切にする」という美名で、世代間格差の解消を先送りするわけにはいかないと思います。そこから、敬老精神が崩れていく可能性すらあるのではないのでしょうか?
子どもに、正しい敬老精神や、弱い立場の人や困っている人への思いやりを教えることは大切かと思いますが、同時に、いまの日本の現状をきちんと教え、これから大人になり将来の社会を担っていく彼らがきちんとものごとを考えられるようにしていくことも大切ではないかと思います。

もちろん、それは社会を構成する全員が考えていくべき課題であることは、いうまでもありませんが。

2013年1月10日木曜日

NRI未来年表

野村総研の「NRI未来年表」、2013年版がアップされていました。
2013年~2060年までの未来予測をA31枚にまとめてくれています!

今後予定されている出来事を「政治・社会」「経済・産業」「国際」の軸で整理し、さらに、NRIが書籍やセミナーなどで発表している様々な予測を「NRI予測」として、コンパクトにまとめた年表です。





2013年から2060年までを、1枚のマトリックスに。

 将来の社会の大きな動きが一覧でき、大まかに俯瞰してみたいとき、手軽に役立つ年表です。
A3に収まってくれるのもうれしいポイントです。



 付録として1945年から2012年までの「過去年表」もついていて、これも意外と便利です。
















iPADから見れるようにEvernoteなどに転送しておいたり、プリントアウトして手帳にはさんでおいたりすると、便利に使えます。私は、電車で移動中の空き時間などにも、時々ながめています・・・。

よろしければご活用ください!

<リンク>
NRI未来年表
このページから、PDFファイルで年表をダウンロードできます。

2012年12月29日土曜日

ゲーミフィケーションについて考える。

ここ1年くらいで、「ゲーミフィケーション」という言葉をよく耳にするようになりました。でも、日常会話でもよく使っていながら、あらためて「ゲーミフィケーションって、何?」と聞かれると、説明するのはなかなか難しい概念です。このあたりで、一度、まとめてみようかと思います。

具体的な事例から考えてみましょう。

まず思い浮かべるのは教育分野です。例えば、「質のよい教育を、すべての人々のために」を理念とする、すばらしいオンラインラーニングサイト「カーンアカデミー(khanacademy)」。「教育の未来とは、こういうものになるのではないか」と言われるほど高い評価を受けていますが、「ゲーミフィケーション」を効果的に取り入れたサービスとして有名です。

カーンアカデミーは、サルマン・カーン氏により立ち上げられた非営利教育団体で、世界のトップクラスの講義を無料で提供しています。数学のコンテンツが有名ですが、他にも科学、歴史、生物、経済等の多様な科目で、2600本以上のビデオと自主学習用資料を有し、世界中で学ばれています。これまで教育を受けることができなかった発展途上国では、学校教育にも活用され、教育機会の拡大に貢献しています。

カーンアカデミーのシステムは、本当によくできており、それぞれに適した速度で学習できるようになっています。生徒と先生をグループ化して、生徒の学習の進捗をモニターできるしくみも提供され、学校の授業にも活用されています。

学習ムービーに他の生徒のコメントがついていたり、学習の達成に応じてバッジがもらえたり、知識マップがビジュアルに表示されたり、学習者が意欲をもって学び続けられるゲーム的要素を導入して、様々な工夫で学習能率をあげようとしています。

カーンアカデミーについては、「SMATOOS」のサイトにわかりやすい説明があります。
多くの人達がカーンアカデミーを選ぶ理由。
http://jp.smatoos.com/?p=264


マーケティング分野では、「Nike+ 」がよくとりあげられます。
ゲーミフィケーションの事例としては必ずといっていいほど紹介されるものです。

「Nike+ 」は、ナイキが販売するNike+専用ガジェットを購入することで参加できるサービスです。専用ガジェットはシューズに取り付けるタイプ、腕時計タイプ、ブレスレットタイプなど複数用意されていて、利用者の活動・運動を測定することができます。走った距離、消費したカロリー、歩いた歩数などを自動的に記録し、ネットに接続することでデータをNike+上にアップロードできます。アップされたデータは日々蓄積され、自分の活動状況がビジュアルにグラフなどで表現されます。





毎日の目標を自分で設定し、活動データを蓄積。目標の達成状況に応じて様々なバッジが付与されたり、Facebookと連動することで、Nike+を使っている友人と運動量による「ランキング」が表示されるようになっていたり。運動を続けるための心理的動機付けを与え、意欲を高めるためのこれらの工夫には、「ゲーミフィケーション」の考え方が取り入れられています。


ゲーミフィケーションとは?

以上の例から、ゲーミフィケーションをひと言で言えば「ゲームで使われている動機付けのしくみを活用すること」だと言えるのではないかと思いますが、 IT Proのサイトでは、以下のようにまとめられていました。
ゲーミフィケーションは、ゲームを独自の視点から眺めます。ゲームで遊んでいる人は、お金をもらうためにゲームで遊んでいるわけではありません。自分でやりたいと思ってゲームをし、時に多くの時間を投じ、複雑なルールであっても自ら進んで覚えようとし、うまいやり方を試行錯誤を通じて学習していきます。ゲームが人をこのようにさせる仕組みに注目するのがゲーミフィケーションの視点です。よくできたゲームに人は夢中になりますが、それはこの仕組みを備えているからと言えます。つまり、ゲームとは人を動機付ける仕組み、「動機付けエンジン」を備えている娯楽コンテンツであると考えられます。ゲーミフィケーションとは、この「動機付けエンジン」は実はゲームでないものでも機能する、という発想を具体化する取り組みのことを指します。

IT pro「企業のためのゲーミフィケーション」より引用
第2回 ゲーミフィケーションとは?
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20121225/446592/

ゲーミフィケーションというと、娯楽性と誤解している人もいるようですが、そうではなくむしろ、「夢中にさせてしまうメカニズム」の方にポイントがあります。

私は以前、ヘルスケア分野のウェブサービスの開発に関わった経験がありますが、その際にも、いかにすれば健康のための習慣を継続させる「動機づけ」を行えるかは、大きなテーマでした。その頃にも、ゲーミフィケーション的な発想はありましたが、その実現は困難でした。しかし、その後インターネット技術は急速に進化し、できることは飛躍的に増えてきていると感じます。ソーシャルツールなどを含め、インフラが整ってきたことで、ゲーミフィケーションの発想は、より実践しやすくなってきています。

マーケティング分野でも、マイレージプログラムなど、動機づけを目的とするしくみはたくさん導入されてきました。しかし、「ゲーミフィケーション」は、人間の感情や習性を巧みに利用したゲームのメカニズムを取り入れることで、それらを高度化し、より有効なプログラムにしていこうとする点が新しいのだと思います。マーケティング分野だけでなく、教育、ヘルスケア、スポーツ、社員教育、福祉、社会問題、政治の分野など、実践の領域は無限とも言えます。

接客やマネジメントなどのノウハウの開発においても、「ゲーミフィケーション」の成果を応用できる余地は大きいのではないかと思います。「ゲーミフィケーション」の概念を明確化することで、わくわくするようなアイデアが生まれてくるような気がします。


2012年11月30日金曜日

日本の「子供」の総数は、なんと8,700万人!?

博報堂生活総合研究所は、毎年末に翌年以降の生活者動向を予測する「生活動力」を発表していますが、今回、2013年に向けて提言するテーマは「総子化(そうしか)」。少子高齢化により、「子供」が増えているというのです

いわゆる未成人の「子供」は減っているけれども、長寿化により、親が健在であるという意味での、「子」の属性を持つ人の数は増えている。
つまり、40歳でも、50歳でも、60歳でも、親が健在であれば、「子供」。そういう前提でをカウントすると、日本の「子供」の総数はなんと8,700万人にもなるということでした。

そこに、「少子化」ならぬ「総子化」という切り口が見えてきて、新しいマーケティングの可能性があるのではないかという提言がなされています。



総子化」で、どうなる?

プレスリリースから主なポイントを抜粋してみます。

<増える中高年チルドレン>
親が存命の『成人子供』人口が総人口の約半数に
・未成年ではなく、成人であり、かつ自分自身の親が存命である「成人子供」が増加している。
・1950年には総人口の29.0%にとどまっていた成人子供の割合は、
 1965年までに未成年子供人口の割合と逆転、2000年には総人口の約半数を占めるに至った。
・2010年の総「子供」数は成人子供と未成年子供で8,700万人へ。
・特に30代以上の「中高年チルドレン」が増加。2030年には総人口の約4割を占める見込み。
・対して未成年子供人口の割合は一貫して縮小。
この大きな流れは変わることなく未来へと続いていく。

<子供平均年齢、30歳超え>
2010年の子供平均年齢は32.8歳、2030年には36.7歳に
・「子供」が高齢化している。
・高齢化と少子化が同時に進行することで、子供の平均年齢は5年に1歳程度のペースで上昇
・1990年代には20歳台だった子供の平均年齢は、2000年に30歳の大台を超え、2010年には32.8歳。2030年には36.7歳になると予測されている。
日本は今、世の中を支える「大人」が「子供」であるという新しい構造の社会へと突入しつつある。

<親子60年時代へ>
親子共存年数は約60年に
人生の3分の2以上を子供として過ごす時代へ
・「子供」の高年齢化と、平均余命の伸びとともに、生まれてから親を看取るまでの「親子共存年数」も長期化。
・1955年の親子共存年数は父親45.5年、母親51.9年だったが、2000年には父親50.7年、母親59.4年となり、親子の共存年数は約60年に達した。
2030年になってもこの年数は変わらず、生まれてから約60年間、人生の3分の2以上を「子供」として過ごす時代。子供のまま還暦を迎え親に祝福される人や、子供のまま役員や社長になる人さえ珍しくなくなる。

生活が変化する?

こうしてまとめられてみると、なんだか、すごいことになっている感じがします。でも、考えてみれば、私自身、父は、早くに亡 くなりましたが、母はまだ存命で、私が60歳になるまで生きる可能性はあります。まわりを見ても、「(自身が)還暦を越えても、親がまだ元気」という人、 結構いますね。

博報堂生活総研では、総子化による、これからの生活変化を次のように予測しています。


1.家族の変化:「核家族」から「一族発想」へ
総子化時代には、普段は核家族として分散している個々の子供たちの力を集結させ、“一族”というチーム力で困難かつ透明な時代を乗り切ろうという「一族発想」が強まると考えられる。

2.親子の変化:「上下反発」から「水平協働」へ
長期化する親子時間により、年齢の上下関係から親と子が解放され、反発しあう対象から、お互いに年を重ねてきた大人として「水平協働」する対象へと変化。親子一緒の消費が活性化するだけでなく、親子で移住や起業などの新展開も考えられる。

3.生き方の変化:「早く大人に」から「子である自由」へ
昔は「早く一人前に」が親孝行でしたが、今や親は長く元気で健在、生活能力もある。子供の気持ちの中には自然に「子である自由」が生まれ、大人としての自覚を持った上でのアグレッシブな挑戦や冒険をする人が出てくる。学び方や働き方を中心に、自分の人生を俯瞰的に捉える個人が増えていく。

「総子化時代のマーケティングチャンス

以下のような切り口があげられています。

1)子供のポジティブ面から発想した新しいターゲット設定や消費行動の創出
親子共学
40代「隙間貴族」
開業女子
老老起業
こども定年

2)親族のつながりを支援する新しいライフスタイルの実現や生活インフラの整備
一族ハウス
ノマド育児
2世代コンテンツ
100超え親子旅行
『○○の日』コンシェルジュ

いやぁ、なかなか、おもしろいです。
以上の内容は、博報堂生活総合研究所RESEARCH NEWS 「生活動力2013」 を出典とし、その一部を抜粋して、まとめたものです。詳しくは、以下のページでご覧ください。

<リンク>
博報堂生活総合研究所RESEARCH NEWS 「生活動力2013」 
プレスリリース(PDF)

2012年5月28日月曜日

シニアが社会に役立つために。

NPOは、定年後の経験豊富なシニアの力をかりたいと思っているが、その一方で、不安も大きい。
そんなデータがありましたので、ご紹介します。
少し古いデータになりますが「シニア世代活用」に関するアンケート調査です。
(データ引用:2009.3「再チャレンジのきっかけとしてのNPO雇用状況アンケート調査報告」 再チャレンジ学習支援協議会)

経験豊富なシニアへの、期待と不安。

「定年退職後のシニア」を求めているNPOは78%。
多くのNPOがシニアの力を活用したいと考えています。

具体的に力を貸してほしいと考えている事項としては、以下のようなものがあります。
  • 前職のスキル
  • 人脈
  • 組織運にすぐれた点を生かす

しかし、実際の受け入れは、不安。 

ニーズはあっても、実際にシニアを受け入れることには、失敗経験を含め、いくつかの不安があるようです。


上位にあげられているのは、表現こそ違えど、同じような指摘です。それは、「ビジネス分野でのキャリアや成功体験があるからこそ、そこからの意識転換が出来ず、新しい組織への理解や柔軟性が求めにくいのではないか」、という不安です。


意識を変えれば、第二の人生が充実する。

NPOだけではありません。先日お話を聞いた、キャリアシニアを専門に扱う人材派遣会社でも、同じような課題に直面していて、最初は「仕事があるだ けでもありがたい」「何でも、やります」と言っていたシニアが、徐々に給与条件や労働条件での不平をもらすようになることが多いのが悩みなのだそうです。

アメリカなどでは、重役まで行った人が、リタイア後、警備員や駐車場係などの仕事を始めた場合には、陽気に楽しく働いて人気者になったりもするそうで、それはおそらく「ここからは、次のフェースだという切り替えがはっきりしている」のではないかということでした。

また、いまは、年金支給年齢との兼ね合いで、定年延長や再雇用が企業に義務付けられるようになりましたが、そこでも、肩書きを失ったり給与が下がっ たりすることにより、モチベーションが低下することが、ひとつの問題としてあげられ、企業の人事部の課題になりつつあるそうです。

あまりにも長くひとつの会社にいると、知らず知らずのうちに、ひとつの価値観や成功体験に縛られ、そのことさえ自覚できなくなりがちです。早く、そこから抜け出して、次の価値観を見つけることが、まずは、より有意義なセカンドライフへの第一歩ではないでしょうか。

2012年5月7日月曜日

20代の3割近くが「自殺を考えた」–内閣府調査結果に思う。

内閣府が、「自殺対策に関する意識調査」の結果を発表しました。
それによると、「今までに本気で自殺したいと思ったことがあるか」と聞いたところ、「ある」と答えた人は全体で23.4%。08年の調査に比べて4.3ポイント増加しています。
特に20代の3割近くが、考えた頃があるという点が、クローズアップされていました。

国民の4人に1人が、本気で自殺を考えたことがある。

昨年の自殺者数は、自殺リスクが高いとされる中高年が前年より減った一方、20代以下 では増えており、今回、20代の若者のうち本気で自殺を考えたことのある割り合いが28・4パーセントに上りました。

20代28.4%
30代25.0%
40代27.3%
50代25.7%
60代20.4%
70代以上15.7%
全体23.4%

時系列でみても、20代の伸びが目立ったこと。また、悩みを打ち明ける相談相手がいるかどうかをたずねた質問で、「いる」という人の割合が、20歳代男性が最も低く87.6%だったこと。「考えたことがある」という回答者のうち、20代では36・2%が「1年以内に」と答え、15・2〜25・3%だった他の世代を大きく引き離したことなどが、より若い層に注目が集まる要因になったのかもしれません。内閣府は「若者に絞り、雇用改善もまじえた対策が急務」と話しています。

しかし、若い層が、何を原因に自殺を考えたのかについては、分析されていません。そこが重要なのではないかという気がします。また、数字を見れば、これは世代をこえた問題で、「国民の4人に1人が、本気で自殺を考えたことがある」というのは、若い層に限らず大きな数字だと思います。

ゲートキーパーの大切さ

最近の自殺対策のキーワードとして、「ゲートキーパー」があります。これは、自殺対策の分野では広く使われてきた用語だそうです。

 ゲートキーパーは「門番」。悩み苦しんでいる人に気づき、声をかけ、話を聞き、必要な支援につなげる人という意味で使われているようです。また、弁護士、民生委員、医師などの専門家だけでなく、国民全員が「ゲートキーパー」の役割を果たせるように・・・という意図で「ベーシック」という言葉をつけて「ゲートキーパー・ベーシック」などとも言われるようです。みんなが気づき合えるようになろうということでしょうか。

1月には、政府が、自殺対策強化月間の標語を「あなたもGKB47宣言!」としたことに批判が続出して、ついに撤回した事件がありました。あのGKBも、ゲートキーパーベーシックの略語でした。
キャッチフレーズは、結局、「あなたもゲートキーパー宣言!」と修正されたようですが、私は、それでは、「あなたもGKB47宣言!」と変わらないのではないかと感じました。

自殺を考える人は、何らかの深刻な問題を抱えているはずです。そんな人に対して声をかけ、話をきくというのは、並大抵のことではありません。それなのに、 「まずは、言葉への認知度が高まれば、それだけで認識が高まる」とでもいうような広告的な発想が感じられて、違和感を感じます。そんなに簡単なテーマではないだろう・・・と。

プロモーションサイトも開設されていましたが、これにも違和感を感じました。
タレントを使ったのは、このテーマを身近に感じさせるためなのかもしれませんが、タレントのメッセージよりも、信頼できる相談窓口やNPOを紹介したり、具体的に問題解決をしてくれるサービスについて説明するなど、死にたいとまで悩む人たちの問題解決につながる具体的な情報を集めたサイトの方が、よほど有用ではないかと感じました。
(追記:サイトは、すでに終了)

自殺対策に取り組むNPOや、個人としてゲートキーパーとしての活動をしている人がいます。「あなたもゲートキーパー宣言!」という軽さや、プロ モーションサイトの内容は、そんな人たちの活動をバックアップするどころか、結果として逆に作用しているような気がしてなりません。
今回の調査結果を受けて、もう少し真剣に考えるべきではないかと、あらためて思いました。

<リンク>
平成23年度自殺対策に関する意識調査
内閣府自殺対策推進室

(参考)本件に関する情報集 NAVERまとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133592255773215301

2012年4月23日月曜日

「高齢社会」と「高齢化社会」の定義。

今の日本を表す言葉として「高齢社会」「高齢社会」と、メディアでも統一されない言い方がされていますが、 どちらが正しいのでしょうか?その違いは、何でしょうか?あらためてその定義を調べて見ました。

日本は高齢社会、それとも高齢化社会?

まず総務省のサイトを見てみました。「平成22年版 高齢社会白書」の冒頭のサマリー部分を以下に引用します。
我が国の総人口は、平成21(2009)年10月1日現在、1億2,751万人で、前年(1億2,769万人:20年10月1日現在推計人口)に比べて約18万人の減少となった。
65歳以上の高齢者人口は、過去最高の2,901万人(前年2,822万人)となり、総人口に占める割合(高齢化率)も22.7%(前年22.1%)となった。
65歳以上の高齢者人口を男女別にみると、男性は1,240万人、女性は1,661万人で、性比(女性人口100人に対する男性人口)は74.7であり、すなわち男性対女性の比は約3対4となっている。
また、高齢者人口のうち、「65~74歳人口」は1,530万人(男性720万人、女性809万人、性比89.0)で総人口に占める割合は 12.0%、「75歳以上人口」は1,371万人(男性520万人、女性852万人、性比61.0)で、総人口に占める割合は10.8%である。
また、75歳以上人口は、65~74歳人口の伸びを上回る増加数で推移してきている。
我が国の65歳以上の高齢者人口は、昭和25(1950)年には総人口の5%に満たなかったが、45(1970)年に7%を超え(国連の報告書にお いて「高齢化社会」と定義された水準)、さらに、平成6(1994)年にはその倍化水準である14%を超えた(「高齢社会」と称された)。そして、今、まさに22%を超え、5人に1人が高齢者、10人に1人が75歳以上人口という「本格的な高齢社会」となっている。(平成22年版 高齢社会白書より引用)
結論として、日本は、高齢社会です。それも、総務省の表現では「本格的な高齢社会」、一般に言う「超高齢化社会」です。


あらためて、その定義は?

国連が、1956年に「The Aging of Population and Its Economic and Social Implications」という報告書の中で、「高齢者は65歳以上」と定義したことから、全人口に対する65歳以上の人口比を高齢化率というようになったようです。
そして、高齢化率が7%を超え、さらに高齢化率が高まり続けている社会を「高齢化社会」、高齢化率が14%を超えると高齢社会と定義しました。

超高齢社会という言葉もありますが、これは国連の定義にはなく、一般に、高齢化率が21%を超える状態を指すようです。(そんな状態は、国連も予測していなかった?)
まとめると次のようになります。
・高齢化社会=高齢化率7%~14%
・高齢社会=高齢化率14%~21%
・超高齢社会=高齢化率21%~


日本は、1994年に14%を超え、2007年に21%を超えました。だから国連の定義では日本は「高齢化社会」じゃなくて「高齢社会」、非公式な定義では「超高齢社会」です。


日本の人口構成の推移と将来予測

日本では1970年(昭和45年)に高齢化率が7%を超えて高齢化社会に。1994年(平成6年)に高齢化率が14%を超え高齢社会になり、2007年(平成19年)には高齢化率が21%を超えて本格的な高齢社会(超高齢社会)なりました。

そして、その後も総人口が減少する中で高齢者が増加することにより、高齢化率は上昇を続けているわけですが、今後の予測は、
・平成25(2013)年には高齢化率が25.2%で4人に1人
・平成47(2035)年に33.7%で3人に1人。
・平成54(2042)年以降は高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇を続け、
・平成67(2055)年には40.5%

なんと、国民の2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されています。
さまざまなかたちで、よく見るグラフではありますが、以下に、総務省の報告書から引用した図を掲載します。(クリックで拡大)

高齢化の推移と将来推計
(高齢化の推移と将来推計)

高齢化は、いま、日本が最も進んでいますが、これから世界的に同じ傾向をたどります。
1991 年、国連総会は「高齢者のための国連原則」(決議46/91)を採択。高齢者の地位に関連する以下6 つの領域にわたって、18 の原則が示されているそうです。これらについては、今後、詳しく見て行きたいと思っています。

・自立(independence)
・参加(p a r t i c i p a t i o n)
・介護(care)
・自己実現(s e l f – f u l f i l m e n t )
・尊厳(d i g n i t y)

<参照した情報>
総務省・平成22年版 高齢社会白書(全文<PDF形式>)
高齢化に関する国際行動計画および高齢者のための国連原則<PDF形式>