2011年10月27日木曜日

「暗い未来を明るく変える」3つの軸。

ワークス研究所(リルート)が、2011年度の研究テーマ「未来予測2020」の一環として、2020年の労働市場や失業率、産業構造の予測を行い、その結果をまとめています。
レポートでは、まず、「残念ながら普通に予測を行うだけでは、未来は暗いという結論になる。」と報告されています。その前提の下に、「暗い未来の中にもどれだけ希望の兆しがあるのか」「暗い未来を変えていくためには、何をすればいいのか」について、雇用と言う観点から考察を行っているのが、このレポートです。

成熟期のパラダイムシフト(2020年予測) 「雇用の多様化」に関する15の視点、そして、新しい働き方の12のシナリオが提起されています。「電子書籍やPDFファイルだけではなく、エクセルのデータも公開されていますので、情報源として、さまざまな分析などにも活用できるのではないかと思います。












暗い未来の要点。2020年予測結果。

暗いといわれる、2020年予測の主な軸としては、以下の3つがあげられています。
(1)人口減少により懸念される人手不足は起こらず、失業率はさらに高まる。
(2)製造業で働く人は減り続け、サービス業で働く人は増え続ける。
(3)団塊ジュニアに関する人材マネジメントが、企業にとって大きな課題になる。
暗い未来を少しでも明るくするための希望の兆しとしては、大きく次の2つを挙げています。
(1)高齢者や女性などの活躍。
(2)NPOや地元の有力企業など、新しい雇用の受け皿が台頭すること。
さまざまなデータもグラフ化され、くわしく解説されているので、近未来の社会をシミュレーションする参考になります。

トレンドから予測する2020年労働予測

2020労働市場予測例えば、
・人あまりで働ける人が減り、特に男性失業者が増える
・若年層の失業率は低下し、中高年は増える
・専門職、技術職、サービス食が増加
・男性の若年性写真が大幅に減少する
など、4つの軸から11の予測が上げられています。











未来の働きスタイル。12のシナリオ

人事・雇用・働き方。想定される12のシナリオ具体的な12のシナリオが提起されていて、これが、なかなか面白いです。例えば、
・集団で海外に出る「グローバル出稼ぎ」が現れる
・ミニジョブを掛け持ちするハイスキルワーカーが増える
・社員のほとんどが「部長」という会社が生まれる
・見た目が若く、能力を持ったスーパーシニアが活躍する











パラダイムシフトを楽しもう。

また、「パラダイムシフトを楽しもう」という結びのコラムでは、未来を明るいものにするためには、、私たちの考え方を、多様性を尊重するパラダイムにシフトが重要だと、言っています。

高度成長期には、経済成長・人口増加・製造業主流を前提とし、雇用は男性・製造業・正社員が中心で、企業で働くことが主流とする考え方が形成されました。
1980年代のバブル崩壊後、1990年代初頭には実質的にこれらのモデルは成立しなくなっています。でも、それにもにもかかわらず転換が行われて いません。旧来の考え方が崩れようとしたこともありましたが、いまだにその考えが支配的であると言えます。そのため、ほぼ20年間日本は漂流しているとも 言えます。

しかし、元に戻ることはありません。これらの前提がすべて成り立たなくなろうとしている今、このような考え方に固執してはいけない。いかに、パラダイムのシフトを図れるかに、日本の未来がかかっているといえます。

要約すると、報告書には以上のようなことが書かれています。特に新しい視点はないと思いましたが、具体的なテーマ出しやシナリオ化は面白く、分かりやすいグラフや図を多用したレポートは、見ごたえもあり、情報源としてはなかなか優秀だと思いました。

【参考】
「2020年の「働く」を展望する 成熟期のパラダイムシフト」(リクルート ワークス研究所)
以下がダウンロードできます。
・成熟期のパラダイムシフト(2020年予測)本文.pdf
・予測データ(エクセルファイル)

概要は、こちらのコラムに掲載されています。
近未来予測!2020年の雇用情勢・労働市場発想を転換し暗い未来を明るく変える」
http://diamond.jp/articles/-/14605

2011年10月19日水曜日

生活保護の最新実態(2011.11)

生活保護を受けている人が205万人を超えたというニュース。
戦後の混乱期をも上回り、過去最多だそうです。一体、この国はどうなっていくのでしょう。

戦後の経済成長と共に、社会も豊かになり、生活保護の世帯数が最も低くなったのは1995年度。それと、2009年を比較してみます。
総受給者数2.3倍 (支給総額は3兆円を突破)
高齢者世帯2.2倍(高齢者数は1995年から2009年にかけて1.6倍程)
母子世帯2.2倍 56万世帯
その他世帯4.2倍 17万世帯
(1995年度→2009年度比)


「その他世帯」の増加が突出しているが、リーマンショック以降、20代~50代の働く世代の受給が急増しており、貧困な高齢者や病気、障害を持つ人 といった生活保護本来の対象以外で保護を受けている受給世帯は、全体の16%にものぼる。その多くが、「職を失ったまま再就職先がみつからない人」や、 「雇用保険に入れない非正規労働者として働いていたが、失業によって生活保護に頼らざるをえなくなった人」たちだといわれています。

テレビで、何度も面接に落ちるうちにやる気を喪失し、あきらめて行く人の取材番組をみた時には、切ない気持になりました。甘えすぎだという意見にももっ ともな部分はあるかもしれませんが、これらの世帯が経済の悪化の直撃を受けていることは言うまでもなく、自己責任といってしまうには、現実はあまりにも厳しいとも感じ ます。

高齢者の受給世帯数の増加が、高齢者数の増加率に比べて高いことも、気になります。
暮らしていけないお年寄りが以前より増えているということですから。高齢化がますます進む中で、独り暮らしで頼る人がいないまま、困窮するお年寄り。低年金・無 年金で、生活保護を申請するしか生きるすべがないお年寄り。それが、この調子で増えていけば、社会保障にかかる費用はとんでもないことになってしまいます。

一方で、いま、若い層を中心に、国民年金を払わない人が40%もいる(この数字には異論もあるが、ここではそういう人が多いと言う傾向としてとらえておく)状態では、そのままでは将来の無年金者がますます増える可能性もあります。

雇用、最低賃金、年金、医療・福祉など、現行制度のさまざまな不備や綻びが、最後のセイフティネットである生活保護受給者数増加と言うかたちであら われ、国や地方の財政を圧迫しています。そんな中で、生活保護費を搾取する「貧困ビジネス」や、経済力があるのに保護を受ける不正受給などがはびこっている 現実もあり、状況は非常に複雑かつ深刻になっています。社会保障トータルな視点での改革が必要・・・とよく言いますが、いまの日本に、それができるのだろうか。。。と、途方に暮れる気がします。
厚労省によると七月は六月から八千九百三人増加。世帯数では百四十八万六千三百四十一世帯(前月比六千七百三十世帯増)で最多を更新し続けている。
九日の発表で生活保護の受給者数が過去最多を記録した背景には、雇用環境の悪化で働き盛りの世代が職を失い、多くが「働きたくても働けない」状態を余儀なくされている事情がある。東日本大震災などの影響で、事態はより深刻化する可能性もある。
従来、生活保護受給は高齢者が大半を占め、働き盛り世代は少数だった。様相を変えたのは二〇〇八年秋のリーマン・ショック。同年末には都心に「年越し派遣村」が現れたほどだ。以降、働ける年齢層の「その他世帯」が一気に増え、〇七年度から二倍以上に拡大した。
だが労働市場は狭まるばかり。有効求人倍率は〇七年度平均の一・〇二倍から〇九年度は〇・四五倍に低下した。政府が今年十月に始めた「求職者支援制度」は職業訓練を通じ就労に結び付ける試みだが、これほど雇用が低迷すると実効性に疑問符も付く。
もちろん高齢者の貧困防止も大切だ。年金、医療を含め社会保障全体の機能強化が求められる。

以上、東京新聞より引用
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011110902000188.html

2011年10月17日月曜日

盛り上がらなかったOCCUPY TOKYO

9月17日、米国のニューヨーク・ウォール街で始まった大規模抗議行動。
彼らは、プラカード代わりのピザの箱や段ボールで「我々は99%だ」「1%の大金持ちのせいで私たちは苦しんでいる」「富める者に税金を。貧しい者に食べ ものを」・・と訴えています。それは格差社会への痛烈な批判であり、貧困と格差が広がりきった米国社会への抗議でもあります。

この運動は、インターネット上で次々と呼び掛けられ全米はもちろん全世界へと広がっています。そして、日本でも、日比谷公園、六本木、新宿などで、 合わせて300人くらいの人が集まったそうですが、それほどの盛り上がりはなかったようです。とてもOCCUPY!といえるほどのパワーはなかったようで す。また、実際には労組などが中心で、若者は少なかったともききます。(真偽のほどはわかりませんが)

しかし、アメリカやヨーロッパに比べれば、日本の若者は静かです。これだけ世代間の格差や不公平があっても、自らデモや抗議行動にも出ないし、政治に働きかけることもしません。それは、国民性か、無関心か、それともあきらめなのでしょうか。。。


日本もアメリカと状況は同じはずなのに・・・。

メディア報道などから数字を拾ってみました。必ずしも正確ではないかもしれませんが、概ねの傾向は合っていると思います。

アメリカ
・貧困率は15.1%。
・失業率は全体では9%を超え、25歳以下に限ると18%。
・日本同様、非正規雇用の増加も問題になっている。

日本
・09年の日本の貧困率(年間可処分所得112万円以下の人の割合)は16%。
・失業率は全体で4.3%。25歳以下では8%。
 (日本では求職活動をしていないと失業者に数えない。アメリカ式に統計をすれば失業率はもっと高い)
・非正規雇用率は38.7%。24歳以下では半数近くが非正規雇用。

これを見れば、若年層が皺寄せを受けているのは、日本もアメリカと変わりません。数字だけ見れば、日本でもアメリカと同じような怒りが社会にぶつけられてもおかしくない状況です。
それなのに、なぜ、立ち上がらないのでしょうか?

若者論に通じる識者4人の見方。

日経新聞WEB版で、このテーマを取り上げていました。「日本の若者はなぜ、立ち上がらないのか。若者論に通じる識者4人に聞いた。」という企画です。それをダイジェストしてみます。

中央大学文学部・家族社会学 山田昌弘教授(53)
「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」
「日本では親との同居、いわゆるパラサイトが多いので、住宅にも困らず、食事も出来る。こんな環境にあっては、デモなんて考えもしないだろう。」

人事コンサルタント 城繁幸氏(38)
「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。300円の牛丼を食べてケータイをいじってゲームをしている方が心地よい、という現状がある限り、大多数の若者はデモには向かわないだろう」。
「1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。年収はおそらく3割程度減っているが、生活水準は格段に上がっており、この差が若者の気質に与える影響は大きい。」

神戸女学院大学名誉教授・哲学者 内田樹氏(61)
日本の若者たちが格差拡大に対して声をあげないのは、「社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできたイデオロギーの帰結だ」
「今の日本の若者たちが格差の拡大や弱者の切り捨てに対して、効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが『連帯の作法』というものを失ってしまったから。同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちとどうやって連帯すればよいのか、その方法を知らない」
「能力主義」「成果主義」「数値主義」の結果、「弱者の連帯」という発想や、連帯する能力が損なわれた。
エコノミスト・大和総研顧問 原田泰氏(61)
「欧米に比べて失業率が高くないことも、デモが起こりにくい理由」
「欧米では若年層の失業率は20~40%。スペインでは25歳未満の失業率が8月には46%に達した。これに対して日本では高いとはいえ10%に満たない。」
「年収200万円でも暮らしていける現実があり、欧米ほど失業が深刻化していない。不満が顕在化しにくい」

団塊の世代に問いかけたい。

この記事は反響を呼び、さまざまなブログでも意見を書いている人がいました。内田氏の意見には、反論が多かったように思いますが、私は、このテーマに関しては、内田氏の以下の指摘に同意を感じます。
内田氏は、若者が働かなくなったのは「『努力すれば報償が与えられる』という枠組みそのものに対する直感的な懐疑のせい」とする。
 若者は「『みんなが争って求めている報償というのは、そんなにたいしたものなのか?』という疑念にとらわれている。一流大学を出て、一流企業に勤 めて、35年ローンで家を建てて、年金もらうようになったら『そば打ち』をするような人生を『報償』として示されてもあまり労働の動機付けが高まらない」
 内田氏は「被贈与感」の重要性を指摘する。「連帯せよ、とマルクスは言った。それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できる ような人間になれ、ということだと私は理解している。そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。でも、根本にあるのは、 『自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない』という『被贈与感』。そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない」「今の日本 社会に致命的に欠けているのは、『他者への気づかい』が人間のパフォーマンスを最大化するという太古的な知見への理解」
 さらに内田氏は次のように説明する。「もともと日本には、弱者をとりこぼさないような相互扶助的な社会システムが整っていたのではなかったか?  そのような『古きよき伝統』に回帰しようというタイプの主張を若者たちが掲げたら、大きな『うねり』が発生する可能性がある」。ただ、今の日本の若者たち は「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるようには思えない」
以上、日経WEB版より引用
ただし、上記引用の中で、『日本の若者たちは「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるよ うには思えない」』という部分には同意しません。グローバリズムは蔓延していても、日本の若者は日本人ならではのDNAを持っていると思います。アメリカ のような抗議のスタイルではなく、日本は日本なりの社会へのコミットメントが出てくることを期待しています。

ところで、私は、今の日本の若者たちがおかれた状況を、識者ではなく普通の団塊の世代の人々がどう考えているのか聞いてみたい気がします。彼らの状況を憂う前に、その状況を作ったのは自分たちを含む上の世代であることを認識し、彼らにどうすれば希望を与えられるかを考える人たちは、どれくらいいるの だろうか?と思います。まじめに考えれば、それは諸刃の剣になります。

もしも、今の若者が社会意識に目覚め、デモを始めるようになったら、その中心対象は団塊の世代に向けられるでしょう。その時、かつて学生運動で社会に抗議した団塊の世代の人々は、どう感じるのだろうか?そのことに、とても興味があります。

<参考>
OCCUPY TOKYO
「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか 内田樹×城繁幸×原田泰×山田昌弘」日本経済新聞サイトより

2011年10月5日水曜日

張りつめたコップの水のような社会。

昨日のBS11のINsideOUTは、とても考えさせられる内容でした。
テーマは、「死に急ぐ若者 無差別殺傷『誰でも良かった』の背景」。
キャスターはNPO法人自殺対策支援センター「ライフリンク」の代表、清水康之氏。

ゲストは、文化人類学者の上田紀行氏と北九州でホームレス支援をする牧師の奥田知志氏。
3年前におこった秋葉原の事件に代表されるような、若者による無差別殺傷事件が増えていること、さらには彼らが共通して「誰でもいいから殺したかっ た」「誰でもよかった」と言っていることをとりあげ、その背景として現代社会が抱える問題について、話が交わされました。番組の中で、印象に残った言葉をメモ しておこうと思います。


今の社会構造の問題点について。

「『誰でもいいから殺したかった』は、『誰でもいいから話を聞いて欲しかった』『誰でもいいから、相談に乗って欲しかった』『誰でもいいから自分の ことを認めてほしかった』という希求の裏返しであり、その行き場がなくなってしまった時に、「誰でもいいから殺したかった』にジャンプしてしまったのでは ないかと思うし、それは、異常な犯罪だということだけですませられる問題ではない。」(奥田)

「今の社会では、すべての人間は使い捨てであり、物扱いされている。つまり、『誰でもいいもの』である。今の若者たちはそんなイメージを持ってい る。それは、つまり、自分も『誰でもいいもの』であり、自分が死んでも誰も悲しまない。だから、まわりの人も、『誰でもいいもの』であり、それを殺しても 誰も悲しまないということになってしまっているのではないか。」(上田)

「非正規雇用が増えていること自体よりも、非正規雇用が非人間的雇用になっていることが問題。「誰でもいいんだよ。君がいやなら、電話一本すれば、 代わりはいくらでもいるんだから」と言われるような使い方をされているうちに、無名化し、孤立化してしまい、自分自身が何なのかわからなくなる。
今は、人が労働力ですらなく、物のように使い捨されてしまう時代。社会自体のあり方、価値観、人間に対する向かい方が問われている。」(上田)

「景気が悪くなる前から、自分は交換可能であり誰でもいい存在だという感覚、つまり人格的な疎外感はあった。しかし、景気がいい時は、『それでも、自分は恵まれている』と感じられる部分もまだあったので、踏みとどまることができた。
しかし、景気が悪化して、職がないとか貧困とかが重なると、二重に疎外されてしまう。一重の疎外だけなら踏みとどまることが出来るし、反社会という 方向に向かうこともできたが、二重の阻害になると、もうよって立つところが見えなくなり、自分がこの社会のどこに痕跡を残せばいいのかすら分からなくな る。行き場がなくなってしまう。」(上田)


では、どうすればいいのか?

「大人が、勝ちパターンを変えなければならない。高度成長を体験して来た世代は、景気さえ回復すれば、また元に戻ると思ってしまう。本当に人間が何に苦悩しているのか?何に子供たちが苦しんでいるかを理解しなければならない。」
「以前は、例えば家族、地域、会社(終身雇用)、つまり地縁、血縁、社縁という受容的な受け皿が合ったので、何かあっても支えてもらえた。しかし、今はそれがない。」(奥田)

「何のために生きるか、何をめざして生きるか、を見直すべきだ。がんばって豊かさを手に入れること、『満足=幸福』だったと時代は終わった。これか らは、満足できない時代に生きることを考えるべき。満足できなくても、幸せにはなれる。満足と幸福は必ずしもひとつではない。そんな多様な価値観を探して いかなければならない。
そして、これまで、満足をめざしてきた我々の社会は、人を幸せにしたのか?それを、私たちはもう一度考えなければならない。」(上田)

「社会には、それを支えている大きなイメージがある。
かつて、日本社会には、『何かがあっても、どこかで誰かが支えてくれる』と言う信頼感があった。
でも、この15年くらいで、『この社会は、あふれた者を見捨てる、切っていくんだ』というイメージをもつようになった。『知らない誰かを殺すこともあるんだ』というイメージの社会になった。
次代に向けて、『救う人がいる』というイメージを取り戻すことが必要。例えば、震災の復興でも、被害にあった人を徹底的に救う、という社会の姿を見 せれば、それによって、『この国には、救いがあるんだ』『支えてくれる国だ』という社会へのイメージが生まれ、それが直接的に救われる人だけではなく、そ れを見ている多くの人の救いにもなる。」(上田)

「『自己責任』という言葉はよくない。
『自己責任』は、人間にとっての尊厳であり、自分で選択し、自分で責任をももつことは尊厳の根本でもある。しかし、今のような選択できない社会における『自己責任』は、人を助けないこと、社会の無責任さのいいわけになっている。自らも周りも傷つけている。」(奥田)

「『何が必要か』だけではなく、『誰が必要か』が重要なのではないか。その点、『誰でもいいから』は、ある意味では救いだと思いたい。誰でもいいんなら、俺でもいいんじゃないか、俺が話を聞こうじゃないか、と言いたい。
でも、いまは、助ける方も匿名化している。助ける方も、自分を失っている。直接出会うと傷ついたり、悩んだりするので、出会いを回避してしまう。でも、たとえ傷ついても、悩んでも、出会って、絆をつくっていかなければならない。」(奥田)


あふれそうなコップの水。

番組でも語られていたように、高度成長期を経験した世代の私は、自分がそれを成功として意識していないにしても、確かにある種の成功体験を持ってい るといえます。それは自分の努力や才能のせいではなく、単に時代が良かったせい。その意味では、今の若者よりは恵まれているのかもしれません。

しかし、今、そんないい時代に戻ることはないと思うし、ある種の不安や無力感や、希望のなさは、付きまとうように存在します。犯罪を起こした若者を容 認するわけではないし、決して許されることではないと思います。しかし、ただ凶悪な犯罪者だとして非難する気にはなれないし、その心情を理解できる何かが、自 分の中にもあると感じます。それは、世代をこえた、いまの社会のイメージではないでしょう?

今の社会のメタファとして、清水氏は、「表面張力で張り切って、ちょっと衝撃を受けるとこぼれてしまうコップの水」のようなものだと表現していました。 なるほど、と思いました。張りつめてあふれそうなコップの中では、何か衝撃が加わったときに、どの水が、どれくらいあふれ出すのかわからない。だから、コップ の中の誰もが不安をかかえている。
 あふれ出したら、コップの中には戻れないから、あふれ出した者は、仕方がないとあきらめるし、意思ある者は、あふれ出さないように、自分の力で自分を守らなければならないと思いつめ、結果として、自分のことだけを考えるようになる。
そして、多くの者が、いつ自分があふれ出すかわからないコップの中で今を浮遊する。

もちろん、これは、若者だけの問題ではない。すべての世代が、そうなりつつあるのかもしれません。
コップを大きくして、あふれださないようにすること、つまり景気を回復させることでしか、この問題は解決しないという人もいます。
あふれた水のためにコップの下に受け皿を用意するべき、あるいは、あふれ出した水がふたたび元のコップに戻れるようなパイプをつくるべきだという人もいます。つまり、セイフティネットや支援システムの充実です。

どれがいいのか。どこから、どうすればいいのか。まして、自分に何ができるのか、わかりません。
ただ、奥田氏の「誰でもいいんなら、俺でもいいんじゃないか、俺が話を聞こうじゃないか、と言いたい。」と言う言葉が心に残り、ちいさな灯りがともったたような気がしました。
何もできなくても、せめて、そんな風に言える人間になりたいと思いました。