2011年10月17日月曜日

盛り上がらなかったOCCUPY TOKYO

9月17日、米国のニューヨーク・ウォール街で始まった大規模抗議行動。
彼らは、プラカード代わりのピザの箱や段ボールで「我々は99%だ」「1%の大金持ちのせいで私たちは苦しんでいる」「富める者に税金を。貧しい者に食べ ものを」・・と訴えています。それは格差社会への痛烈な批判であり、貧困と格差が広がりきった米国社会への抗議でもあります。

この運動は、インターネット上で次々と呼び掛けられ全米はもちろん全世界へと広がっています。そして、日本でも、日比谷公園、六本木、新宿などで、 合わせて300人くらいの人が集まったそうですが、それほどの盛り上がりはなかったようです。とてもOCCUPY!といえるほどのパワーはなかったようで す。また、実際には労組などが中心で、若者は少なかったともききます。(真偽のほどはわかりませんが)

しかし、アメリカやヨーロッパに比べれば、日本の若者は静かです。これだけ世代間の格差や不公平があっても、自らデモや抗議行動にも出ないし、政治に働きかけることもしません。それは、国民性か、無関心か、それともあきらめなのでしょうか。。。


日本もアメリカと状況は同じはずなのに・・・。

メディア報道などから数字を拾ってみました。必ずしも正確ではないかもしれませんが、概ねの傾向は合っていると思います。

アメリカ
・貧困率は15.1%。
・失業率は全体では9%を超え、25歳以下に限ると18%。
・日本同様、非正規雇用の増加も問題になっている。

日本
・09年の日本の貧困率(年間可処分所得112万円以下の人の割合)は16%。
・失業率は全体で4.3%。25歳以下では8%。
 (日本では求職活動をしていないと失業者に数えない。アメリカ式に統計をすれば失業率はもっと高い)
・非正規雇用率は38.7%。24歳以下では半数近くが非正規雇用。

これを見れば、若年層が皺寄せを受けているのは、日本もアメリカと変わりません。数字だけ見れば、日本でもアメリカと同じような怒りが社会にぶつけられてもおかしくない状況です。
それなのに、なぜ、立ち上がらないのでしょうか?

若者論に通じる識者4人の見方。

日経新聞WEB版で、このテーマを取り上げていました。「日本の若者はなぜ、立ち上がらないのか。若者論に通じる識者4人に聞いた。」という企画です。それをダイジェストしてみます。

中央大学文学部・家族社会学 山田昌弘教授(53)
「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」
「日本では親との同居、いわゆるパラサイトが多いので、住宅にも困らず、食事も出来る。こんな環境にあっては、デモなんて考えもしないだろう。」

人事コンサルタント 城繁幸氏(38)
「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。300円の牛丼を食べてケータイをいじってゲームをしている方が心地よい、という現状がある限り、大多数の若者はデモには向かわないだろう」。
「1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。年収はおそらく3割程度減っているが、生活水準は格段に上がっており、この差が若者の気質に与える影響は大きい。」

神戸女学院大学名誉教授・哲学者 内田樹氏(61)
日本の若者たちが格差拡大に対して声をあげないのは、「社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできたイデオロギーの帰結だ」
「今の日本の若者たちが格差の拡大や弱者の切り捨てに対して、効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが『連帯の作法』というものを失ってしまったから。同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちとどうやって連帯すればよいのか、その方法を知らない」
「能力主義」「成果主義」「数値主義」の結果、「弱者の連帯」という発想や、連帯する能力が損なわれた。
エコノミスト・大和総研顧問 原田泰氏(61)
「欧米に比べて失業率が高くないことも、デモが起こりにくい理由」
「欧米では若年層の失業率は20~40%。スペインでは25歳未満の失業率が8月には46%に達した。これに対して日本では高いとはいえ10%に満たない。」
「年収200万円でも暮らしていける現実があり、欧米ほど失業が深刻化していない。不満が顕在化しにくい」

団塊の世代に問いかけたい。

この記事は反響を呼び、さまざまなブログでも意見を書いている人がいました。内田氏の意見には、反論が多かったように思いますが、私は、このテーマに関しては、内田氏の以下の指摘に同意を感じます。
内田氏は、若者が働かなくなったのは「『努力すれば報償が与えられる』という枠組みそのものに対する直感的な懐疑のせい」とする。
 若者は「『みんなが争って求めている報償というのは、そんなにたいしたものなのか?』という疑念にとらわれている。一流大学を出て、一流企業に勤 めて、35年ローンで家を建てて、年金もらうようになったら『そば打ち』をするような人生を『報償』として示されてもあまり労働の動機付けが高まらない」
 内田氏は「被贈与感」の重要性を指摘する。「連帯せよ、とマルクスは言った。それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できる ような人間になれ、ということだと私は理解している。そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。でも、根本にあるのは、 『自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない』という『被贈与感』。そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない」「今の日本 社会に致命的に欠けているのは、『他者への気づかい』が人間のパフォーマンスを最大化するという太古的な知見への理解」
 さらに内田氏は次のように説明する。「もともと日本には、弱者をとりこぼさないような相互扶助的な社会システムが整っていたのではなかったか?  そのような『古きよき伝統』に回帰しようというタイプの主張を若者たちが掲げたら、大きな『うねり』が発生する可能性がある」。ただ、今の日本の若者たち は「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるようには思えない」
以上、日経WEB版より引用
ただし、上記引用の中で、『日本の若者たちは「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるよ うには思えない」』という部分には同意しません。グローバリズムは蔓延していても、日本の若者は日本人ならではのDNAを持っていると思います。アメリカ のような抗議のスタイルではなく、日本は日本なりの社会へのコミットメントが出てくることを期待しています。

ところで、私は、今の日本の若者たちがおかれた状況を、識者ではなく普通の団塊の世代の人々がどう考えているのか聞いてみたい気がします。彼らの状況を憂う前に、その状況を作ったのは自分たちを含む上の世代であることを認識し、彼らにどうすれば希望を与えられるかを考える人たちは、どれくらいいるの だろうか?と思います。まじめに考えれば、それは諸刃の剣になります。

もしも、今の若者が社会意識に目覚め、デモを始めるようになったら、その中心対象は団塊の世代に向けられるでしょう。その時、かつて学生運動で社会に抗議した団塊の世代の人々は、どう感じるのだろうか?そのことに、とても興味があります。

<参考>
OCCUPY TOKYO
「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか 内田樹×城繁幸×原田泰×山田昌弘」日本経済新聞サイトより

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