2012年4月23日月曜日

「高齢社会」と「高齢化社会」の定義。

今の日本を表す言葉として「高齢社会」「高齢社会」と、メディアでも統一されない言い方がされていますが、 どちらが正しいのでしょうか?その違いは、何でしょうか?あらためてその定義を調べて見ました。

日本は高齢社会、それとも高齢化社会?

まず総務省のサイトを見てみました。「平成22年版 高齢社会白書」の冒頭のサマリー部分を以下に引用します。
我が国の総人口は、平成21(2009)年10月1日現在、1億2,751万人で、前年(1億2,769万人:20年10月1日現在推計人口)に比べて約18万人の減少となった。
65歳以上の高齢者人口は、過去最高の2,901万人(前年2,822万人)となり、総人口に占める割合(高齢化率)も22.7%(前年22.1%)となった。
65歳以上の高齢者人口を男女別にみると、男性は1,240万人、女性は1,661万人で、性比(女性人口100人に対する男性人口)は74.7であり、すなわち男性対女性の比は約3対4となっている。
また、高齢者人口のうち、「65~74歳人口」は1,530万人(男性720万人、女性809万人、性比89.0)で総人口に占める割合は 12.0%、「75歳以上人口」は1,371万人(男性520万人、女性852万人、性比61.0)で、総人口に占める割合は10.8%である。
また、75歳以上人口は、65~74歳人口の伸びを上回る増加数で推移してきている。
我が国の65歳以上の高齢者人口は、昭和25(1950)年には総人口の5%に満たなかったが、45(1970)年に7%を超え(国連の報告書にお いて「高齢化社会」と定義された水準)、さらに、平成6(1994)年にはその倍化水準である14%を超えた(「高齢社会」と称された)。そして、今、まさに22%を超え、5人に1人が高齢者、10人に1人が75歳以上人口という「本格的な高齢社会」となっている。(平成22年版 高齢社会白書より引用)
結論として、日本は、高齢社会です。それも、総務省の表現では「本格的な高齢社会」、一般に言う「超高齢化社会」です。


あらためて、その定義は?

国連が、1956年に「The Aging of Population and Its Economic and Social Implications」という報告書の中で、「高齢者は65歳以上」と定義したことから、全人口に対する65歳以上の人口比を高齢化率というようになったようです。
そして、高齢化率が7%を超え、さらに高齢化率が高まり続けている社会を「高齢化社会」、高齢化率が14%を超えると高齢社会と定義しました。

超高齢社会という言葉もありますが、これは国連の定義にはなく、一般に、高齢化率が21%を超える状態を指すようです。(そんな状態は、国連も予測していなかった?)
まとめると次のようになります。
・高齢化社会=高齢化率7%~14%
・高齢社会=高齢化率14%~21%
・超高齢社会=高齢化率21%~


日本は、1994年に14%を超え、2007年に21%を超えました。だから国連の定義では日本は「高齢化社会」じゃなくて「高齢社会」、非公式な定義では「超高齢社会」です。


日本の人口構成の推移と将来予測

日本では1970年(昭和45年)に高齢化率が7%を超えて高齢化社会に。1994年(平成6年)に高齢化率が14%を超え高齢社会になり、2007年(平成19年)には高齢化率が21%を超えて本格的な高齢社会(超高齢社会)なりました。

そして、その後も総人口が減少する中で高齢者が増加することにより、高齢化率は上昇を続けているわけですが、今後の予測は、
・平成25(2013)年には高齢化率が25.2%で4人に1人
・平成47(2035)年に33.7%で3人に1人。
・平成54(2042)年以降は高齢者人口が減少に転じても高齢化率は上昇を続け、
・平成67(2055)年には40.5%

なんと、国民の2.5人に1人が65歳以上の高齢者となる社会が到来すると推計されています。
さまざまなかたちで、よく見るグラフではありますが、以下に、総務省の報告書から引用した図を掲載します。(クリックで拡大)

高齢化の推移と将来推計
(高齢化の推移と将来推計)

高齢化は、いま、日本が最も進んでいますが、これから世界的に同じ傾向をたどります。
1991 年、国連総会は「高齢者のための国連原則」(決議46/91)を採択。高齢者の地位に関連する以下6 つの領域にわたって、18 の原則が示されているそうです。これらについては、今後、詳しく見て行きたいと思っています。

・自立(independence)
・参加(p a r t i c i p a t i o n)
・介護(care)
・自己実現(s e l f – f u l f i l m e n t )
・尊厳(d i g n i t y)

<参照した情報>
総務省・平成22年版 高齢社会白書(全文<PDF形式>)
高齢化に関する国際行動計画および高齢者のための国連原則<PDF形式>

2012年3月15日木曜日

フリーターの高齢化問題

いわゆる「フリーター」と呼ばれる人々のうち、35~44歳の層が過去最高の50万人に達したと、日本経済新聞が報じています。
政府によるフリーター対策は、この層よりも若年層に向けてのものが多いとされ、就職氷河期の影響を受けた35~44歳の対策が手薄になっているとの指摘があります。


以下、記事の抜粋です。
「フリーター」進む高年齢化 35~44歳、最高50万人
11年2割増 バブル後の氷河期世代

アルバイトやパートで生計を立てる「フリーター」の高年齢化が進んでいる。35~44歳のフリーターは2011年平均で約50万人と、過去最高に なった。バブル崩壊に伴う就職氷河期といわれた1993年以降に高校や大学を卒業し、アルバイトなどを続けてきた人がそのまま40歳前後になった影響とみ られる。現在は15~34歳に照準を合わせている政府のフリーター対策も見直しを迫られる可能性がある。
35~44歳のフリーターは東日本大震災の被災地を除くベースで前年より8万人、19%の増加だった。被災地を含めた前年調査と比較しても6万人増え、データを遡れる02年(25万人)からは倍増した。
02年時点では35~44歳の世代に占めるフリーターの割合は1.6%だったが、その後は上昇傾向を続け、11年には2.8%に達した。この世代が 学校を卒業した時期にあたる95年の15~24歳の失業率は5.5%。これに対して12年1月の失業率は9.5%と雇用環境は厳しさを増しており、就職で きずにフリーターを続ける人の割合は今後、高まる公算が大きい。
実際、15~34歳の世代でもフリーターは増えており、11年は176万人となった。03年の217万人をピークに減少していたが、リーマン・ショック後の09年から増加に転じた。
政府はフリーターらを試用する企業に奨励金を支払うトライアル雇用制度や、就職に向けた助言やセミナーなどを行う「ジョブカフェ」などの対策を進め ている。ただ現行のフリーター対策は若年層に対象を絞ったものが多い。35歳以上の「高齢フリーター」は政府の統計にも入っておらず、対策は手薄だ。
企業の多くは新卒採用志向で、20歳代の社内教育を重視する企業風土も根強い。このため、いったんフリーターになると、中途採用などで正社員になる機会は少なくなる。硬直的な雇用ルールの見直しなど、労働市場の流動性を高めなければ、フリーターが増え続ける可能性がある。
今春卒業予定の大学生の就職内定率(昨年12月1日時点)は71.9%。調査を始めた96年以降で最悪だった前年(68.8%)よりは改善したものの、過去2番目の低水準だった。

40歳すぎたフリーターは、若者?それとも中年?

そもそも、若者って何歳まで?
時代や社会状況によっても「若者」の定義は変わるものでしょうが、個人的感覚では、やはり30代半ばまでという感じがします。40歳を若者とは言いにくい感じがします。とすれば、40歳以上のフリーターとは、いわば、中年フリーターということですね。

2009年に、厚生労働省の「地域若者サポートステーション事業」での、「若年無業者」の定義年齢が、それまでの35歳以下から40歳以下に引き上 げられていますから、まあ、この時代、40歳までは若者で、仕事探しの支援もしましょう、ということなんでしょうか?この流れで、どんどん支援対象年齢が 上がっていくのではないかと、恐ろしい気がします。

しかし、考えてみれば、シニア層にはいろいろな支援があって、若者への支援も進まないながらも課題として指摘されていますが、中年層は、対象からこぼれてますよね。中高年などと、ひとくくりにされたり。これまでなら、最も働き盛りで、社会の担い手の中心で、支援対象とは考えられなかった層ですが、この先はそうは行きそうにありません。「地域ミドルサポートステーション 事業」などというものが実施されることのないように祈りたいです。

一方で、「一生フリーターではいけないのか?」という観点もあると思います。
メディアでの取り上げ方は一面的でステレオタイプな感じがします。
「フリーターでも、それなりに暮らしていけるような社会のしくみはないのか?」というようなテーマの立て方も必要ではないでしょうか?根本的な、パラダイムシフトが必要ではないかと感じます。

2012年1月20日金曜日

「いまの若者は不幸なんかじゃない」という若者が書いた若者論。

絶望の国の幸福な若者たち
「絶望の国の幸福な若者たち」という本がベストセラーになっています。「注目の若き社会学者が満を持して立ち上げる、まったく新しい若者論」などと、あちこち で話題になっています。

作者の古市憲寿さんは、新聞や雑誌での紹介、それにテレビ出演しているのも何度か見かけましたが、見栄えよく、賢そうで、ちょっと ナイーブな「いまの若者」って感じでした。

いわゆる、よくいる学者系のコメンテーターなどと比べると、おとなしめの感じがしますが、時々飛び出す旧世代 への皮肉などは、案外辛らつ。だけど、それが、あまりにもピュアに的をえているので、まわりのおじさんたちが戸惑った顔をしたりするのも、面白い。そんな 感じの人でした。




さて、肝心の本の話。『格差社会のもと、「不幸だ」「かわいそうだ」と報じられる若者たちですが、僕らは幸せです。内閣府の「国民生活に関する世論調査」でも、20代男 子の65.9%、女子の75.2%が現在の生活に「満足」していると答えているなど、それはデータ的にも示されています。』というのが、この本のベースに なっています。

なぜ「絶望の国日本に暮らしながら、幸せだ」と言うのか?

それは、つぎの一説に凝縮されていると思います。
もう日本には、経済成長は期待できないかもしれない。だけど、この国には日々の生活を彩り、楽しませてくれるものがたくさん揃っている。それほどお金がなくても、工夫次第で僕たちは、それなりの日々を送ることが出来る。
たとえば、ユニクロとZARAでベーシックなアイテムを揃え、H&Mで流行を押さえた服を着て、マクドナルドでランチとコーヒー、友達とくだらない話を 3時間、家ではYou Tubeを見ながらSkypeで友達とおしゃべり。家具は、ニトリとIKEA。夜は友達の家でに集まって鍋。お金をあまりかけなく ても、そこそこ楽しい日常を送ることができる。
彼は、みんなが「今の若者は可哀相だ」と言うけれど、経済が右肩上がりだった1980年代に若者だった世代が、幸せだったとは思えないし、もし可能だとしても、成長社会ゆえの不幸や歪みが内包されていたそんな時代の若者にはなりたくない、と書いています。

定年まで滅私奉公してひとつの会社しか知らず(これぞ内向きと彼は言う)、35年ローンで家を買って、リタイアしたら「そばうち」・・・なんて人生は、 お金がいっぱいあるとしても僕らは結構です・・・という感じなのです。

上の世代への皮肉ともとれる部分もあり、『「今の若者が不幸だ」と言うのは上の世代の嫉妬』だとまで言い、読んだら気分を害したり、怒るおじさんもいるかもしれません。
でも、腹を立てずに、一度読んでみると面白いと思います。妙な主張や意図がないところが、いまの若者を知る手がかりになります。

もし、「お金をかけなくても、毎日便利で楽しい生活をおくり、小さな幸せがあるだって?」「そんな恵まれた生活インフラを享受できているのは、上の 世代ががんばってつくってくれたものでしょ!」「パラサイトしてるだけじゃないか!」等といっても、「だから何?だって、それが僕らの時代なんだか ら・・・」とでも言わんばかりの軽やかさなのです。

この本を読んでわかることは、一言で言えば、絶望と言われる時代にあっても、今の若者は、利用すべきものは利用して、甘えられるところは甘えて、そ んなにがんばらないでも、それなりに自分らしく自由に楽しく快適に「いま」を生きていく能力が高いということでしょうか?その代わり、ないものねだりも、 青い鳥を追うこともしない。考えても仕方のないことは、考えない。昔をうらやむこともない。そして、小さいけれども確かな幸せを楽しむ術を持つ。上の世代 からは、つまらなく感じるかもしれませんが、それは成熟社会の、進化した幸せの持ち方の先駈けなのかもしれません。


小さな幸せは、本当に幸せ?

この本は、次のような結びになっています。
『「日本」がなくなっても、かつて「日本」だった国に生きる人々が幸せなのだとしたら、何が問題なのだろう。国家の存続よりも、国家の歴史よりも、国家の名誉よりも、大切なのは一人一人がいかに生きられるか、ということのはずである。
 一人一人がより幸せに生きられるなら「日本」は守られるべきだが、そうでないならば別に「日本」にこだわる必要はない。だから、僕には「日本が終わる」 と焦る人の気持ちがわからないし「日本が終わる?だから何?」と思ってしまうのだ。歴史が教えてくれるように、人はどんな状況でも、意外と生き延びていく ことができる。』
『「日本」にこだわるのか、世界中どこでも生きていけるような自分になるのか、難しいことは考えずにとりあえず毎日を過ごしていくのか。
 幸いなことに、選択肢も無数に用意されている。経済大国としての遺産もあるし、衰退国としての先の見えなさもある。歴史的に見てもそんなに悪い時代じゃない。
戻るべき「あの頃」もないし、目の前に問題は山済みだし、未来に希望なんてない。だけど、現状にそこまで不満があるわけじゃない。
なんとなく幸せで、なんとなく不安。そんな時代を僕たちは生きていく。
絶望の国の、幸福な「若者」として』
受け取り方によっては、少し切ない感じになりますが、実は、「若者は先行世代とは違う、新しいスタイルを持っている」「それが、本当の豊かさなはず」、と作者は希望と自信を感じているような気がします。私は、それは、与えられた条件の中でのポジティブさなのではないかと感じました。


大人たちに、ありがちな反応。

この本を読んで、大人たちはこう言うかもしれません。
あなたは、慶応のSFCを出て、仲間がやっているITの会社にいながら東大の大学院に在籍している26歳のいわばエリート。でも、職にもつけず生活保護を受ける若者や、ワーキングプアと言われる若者たちでも幸せだと言うのか?
あるいは、今幸せだとしても、大人になったらどうするのか?守ってくれる親もいなくなり、豊かなインフラを消費し尽くした後は、どう生きるのか?・・・と。

でも、その答えは、あとがきの中にあります。
『世界には、きっと、誰にさえも気づかれないような転轍機が無数に張り巡らされていて、僕たちの人生は何気ないきっかけで道が分かれてしまう。そして、その世界には後戻りができないような仕掛けが施されていて、ちょっとやそっとじゃ、やり直しが効かない。
・・・・・(中略)・・・・・
ここにいなかったかも知れない「自分」のことを思う。無数の反実性を繰り返したところで、ここにいない「自分」が何をしているのか知る由もないが、ちょっとした違いで人生を変えた「自分」にはシンパシーを感じる。
今より幸せな場所にいるのなら羨ましいけれど、今よりも幸せじゃない場所にいるのならば、後ろめたさを覚える。
その後ろめたさというのは、違う世界にいる「僕」に対して感じると同時に、この世界にいる「誰か」にも感じるものだ。つまり、違う世界では「僕」が引き受けなければならなかった』役割を、この世界で引き受けてしまった「誰か」がいるだろうからだ。』
『同時代を生きることになった人々のこと、僕たちが生きることになった国のことを、この本では考えてきた。それは、別に社会全体に向けられた啓蒙意 識からでも、少しでもこの国を良くしたいという市民意識からでもない。ただ、「自分」のこと、「自分のまわり」のことを少しでもまともに知りたかっただけ なのだ。』
『違う世界にエールは届かない。
だけど、そのエールが響きあうことはあるのかもしれないと思う。』
私は、この本の中で、このあとがきが、もっとも心に響きました。詩的ですら、あると感じました。
彼のある種のセンチメンタリズムを、私は救いであり希望であると感じると同時に、日本で、若者の間から、海外のような格差への激しい抗議がおこらない理由がわかったような気がしました。

そして、彼が言うように、結局のところ、世代論では語れないのです。
この本に書いてあることにどれだけ共感するか、あるいは反発するか。それとも、ただの若者データ集として読むか。それは、もしかしたら世代や立場の違いではなく、感受性の違いによるのかもしれないと思います。

私も何十年か前に、新人社会人の頃、ひとつの会社しか知らず、定年までのレールが見えている人生なんてつまらない、と感じました。どうせ一度の人 生、もっと自由に生きたいと。でも、それは、わがままでもあり、ある種のドロップアウトでもあり、とても重いことでもありました。
だけど、いま、彼らは、それを普通のこととし、それを実現できるインフラと情報と可能性をもっています。その軽やかさは、とてもうらやましい感じがします。

彼は、この本が、「自分」と「自分のまわり」以外の誰かの役にたつなら、それは嬉しいけれど、『それはもはや「僕」の問題ではない』と言っていま す。言えることがあるとするなら、この本を踏み台にしながら、新しい何かを考えてみたら楽しんじゃないか・・・と。その意味では、まさに多くの年代層にとって も、踏み台にできる一冊だと思います。

<外部リンク>
アマゾンで「絶望の国の幸福な若者たち」を見る。

日経BPのこの対談も、割と面白いです。
「絶望の国の幸福な若者たち」の古市憲寿さんに聞く(前編)
『頑張って報われるか分からないのに頑張るのは無駄』、「絶望の国の幸福な若者たち」の古市憲寿さんに聞く(後編)

2012年1月14日土曜日

年間自殺者3万人のすごさを実感。

日本の年間自殺者は、平成10年以降、ずっと3万人を超えたまま推移しています。これは問題だと、言われます。でも、正直なところ、それがどれくらい大きい数字なのか、ピンときていませんでした。
ところが、先日、BSの番組で、ライフリンクの清水氏が、「例えば、東日本大震災と津波による死者の数は約2万人。それから考えても、年間自殺者数3万人というのは、すごい数字だ」と言っているのを目にしました。


そうか。「年間自殺者数3万人」とは、「1000年に一度とも言われる未曾有の大惨事による死者の数の1.5倍もの人が毎年毎年、自ら命を絶ってい るということ」なのか。そういう風にとらえれば、なるほど、それは大変なことだ。う~~ん、と思わず、テレビに向かってうなってしまいました。少なから ず、衝撃を受けました。

しかも、実際の自殺者は警察庁で把握されている数字よりも多く、また、未遂者は既遂者の10倍はいると言われているとも聞きます。そう考えれば、これはとんでもないことだと思います。

東京で暮らし始めた頃、人身事故の多さに驚きました。それは日常的に発生し、ニュースにもならない。運悪くそういう場面に出くわし、停止した電車の中で足止めを食らったりすることもありますが、まわりの空気は、「またか」という感じで、特に騒ぐ人もいません。
 誰かが、「また人身事故で、電車が遅れちゃって・・・」などと言いつつ遅れて出社してきても、「あぁ、運悪かったね」くらいの感じなのです。

そんなことを何度か経験するうちに、自分の身近な日常の中に、普通のこととして、そんなかたちでの人の死があることに、いつしか、驚いたり、悼んだり、怒ったりする感性がなくなっている・・・そう思うと、ぞっとします。

震災や津波で亡くなった多くの方々は、もっと、生きていたかったことだろうと思います。その無念を思えば、それ以上の人たちが、毎年、自ら命を絶つ社会は異常だという感覚、せめて、慣れっこにならず、問題意識だけでも持ち続けなければならないと、あらためて思いました。

<データ・外部リンク>
警察庁「平成22年中における自殺の概要資料」(H23年3月発表/PDF)
上記をグラフにしているサイトがありました。

自殺率の国際比較(2011年段階の最新データ)
。詳しい考察もあり。

2011年10月27日木曜日

「暗い未来を明るく変える」3つの軸。

ワークス研究所(リルート)が、2011年度の研究テーマ「未来予測2020」の一環として、2020年の労働市場や失業率、産業構造の予測を行い、その結果をまとめています。
レポートでは、まず、「残念ながら普通に予測を行うだけでは、未来は暗いという結論になる。」と報告されています。その前提の下に、「暗い未来の中にもどれだけ希望の兆しがあるのか」「暗い未来を変えていくためには、何をすればいいのか」について、雇用と言う観点から考察を行っているのが、このレポートです。

成熟期のパラダイムシフト(2020年予測) 「雇用の多様化」に関する15の視点、そして、新しい働き方の12のシナリオが提起されています。「電子書籍やPDFファイルだけではなく、エクセルのデータも公開されていますので、情報源として、さまざまな分析などにも活用できるのではないかと思います。












暗い未来の要点。2020年予測結果。

暗いといわれる、2020年予測の主な軸としては、以下の3つがあげられています。
(1)人口減少により懸念される人手不足は起こらず、失業率はさらに高まる。
(2)製造業で働く人は減り続け、サービス業で働く人は増え続ける。
(3)団塊ジュニアに関する人材マネジメントが、企業にとって大きな課題になる。
暗い未来を少しでも明るくするための希望の兆しとしては、大きく次の2つを挙げています。
(1)高齢者や女性などの活躍。
(2)NPOや地元の有力企業など、新しい雇用の受け皿が台頭すること。
さまざまなデータもグラフ化され、くわしく解説されているので、近未来の社会をシミュレーションする参考になります。

トレンドから予測する2020年労働予測

2020労働市場予測例えば、
・人あまりで働ける人が減り、特に男性失業者が増える
・若年層の失業率は低下し、中高年は増える
・専門職、技術職、サービス食が増加
・男性の若年性写真が大幅に減少する
など、4つの軸から11の予測が上げられています。











未来の働きスタイル。12のシナリオ

人事・雇用・働き方。想定される12のシナリオ具体的な12のシナリオが提起されていて、これが、なかなか面白いです。例えば、
・集団で海外に出る「グローバル出稼ぎ」が現れる
・ミニジョブを掛け持ちするハイスキルワーカーが増える
・社員のほとんどが「部長」という会社が生まれる
・見た目が若く、能力を持ったスーパーシニアが活躍する











パラダイムシフトを楽しもう。

また、「パラダイムシフトを楽しもう」という結びのコラムでは、未来を明るいものにするためには、、私たちの考え方を、多様性を尊重するパラダイムにシフトが重要だと、言っています。

高度成長期には、経済成長・人口増加・製造業主流を前提とし、雇用は男性・製造業・正社員が中心で、企業で働くことが主流とする考え方が形成されました。
1980年代のバブル崩壊後、1990年代初頭には実質的にこれらのモデルは成立しなくなっています。でも、それにもにもかかわらず転換が行われて いません。旧来の考え方が崩れようとしたこともありましたが、いまだにその考えが支配的であると言えます。そのため、ほぼ20年間日本は漂流しているとも 言えます。

しかし、元に戻ることはありません。これらの前提がすべて成り立たなくなろうとしている今、このような考え方に固執してはいけない。いかに、パラダイムのシフトを図れるかに、日本の未来がかかっているといえます。

要約すると、報告書には以上のようなことが書かれています。特に新しい視点はないと思いましたが、具体的なテーマ出しやシナリオ化は面白く、分かりやすいグラフや図を多用したレポートは、見ごたえもあり、情報源としてはなかなか優秀だと思いました。

【参考】
「2020年の「働く」を展望する 成熟期のパラダイムシフト」(リクルート ワークス研究所)
以下がダウンロードできます。
・成熟期のパラダイムシフト(2020年予測)本文.pdf
・予測データ(エクセルファイル)

概要は、こちらのコラムに掲載されています。
近未来予測!2020年の雇用情勢・労働市場発想を転換し暗い未来を明るく変える」
http://diamond.jp/articles/-/14605

2011年10月19日水曜日

生活保護の最新実態(2011.11)

生活保護を受けている人が205万人を超えたというニュース。
戦後の混乱期をも上回り、過去最多だそうです。一体、この国はどうなっていくのでしょう。

戦後の経済成長と共に、社会も豊かになり、生活保護の世帯数が最も低くなったのは1995年度。それと、2009年を比較してみます。
総受給者数2.3倍 (支給総額は3兆円を突破)
高齢者世帯2.2倍(高齢者数は1995年から2009年にかけて1.6倍程)
母子世帯2.2倍 56万世帯
その他世帯4.2倍 17万世帯
(1995年度→2009年度比)


「その他世帯」の増加が突出しているが、リーマンショック以降、20代~50代の働く世代の受給が急増しており、貧困な高齢者や病気、障害を持つ人 といった生活保護本来の対象以外で保護を受けている受給世帯は、全体の16%にものぼる。その多くが、「職を失ったまま再就職先がみつからない人」や、 「雇用保険に入れない非正規労働者として働いていたが、失業によって生活保護に頼らざるをえなくなった人」たちだといわれています。

テレビで、何度も面接に落ちるうちにやる気を喪失し、あきらめて行く人の取材番組をみた時には、切ない気持になりました。甘えすぎだという意見にももっ ともな部分はあるかもしれませんが、これらの世帯が経済の悪化の直撃を受けていることは言うまでもなく、自己責任といってしまうには、現実はあまりにも厳しいとも感じ ます。

高齢者の受給世帯数の増加が、高齢者数の増加率に比べて高いことも、気になります。
暮らしていけないお年寄りが以前より増えているということですから。高齢化がますます進む中で、独り暮らしで頼る人がいないまま、困窮するお年寄り。低年金・無 年金で、生活保護を申請するしか生きるすべがないお年寄り。それが、この調子で増えていけば、社会保障にかかる費用はとんでもないことになってしまいます。

一方で、いま、若い層を中心に、国民年金を払わない人が40%もいる(この数字には異論もあるが、ここではそういう人が多いと言う傾向としてとらえておく)状態では、そのままでは将来の無年金者がますます増える可能性もあります。

雇用、最低賃金、年金、医療・福祉など、現行制度のさまざまな不備や綻びが、最後のセイフティネットである生活保護受給者数増加と言うかたちであら われ、国や地方の財政を圧迫しています。そんな中で、生活保護費を搾取する「貧困ビジネス」や、経済力があるのに保護を受ける不正受給などがはびこっている 現実もあり、状況は非常に複雑かつ深刻になっています。社会保障トータルな視点での改革が必要・・・とよく言いますが、いまの日本に、それができるのだろうか。。。と、途方に暮れる気がします。
厚労省によると七月は六月から八千九百三人増加。世帯数では百四十八万六千三百四十一世帯(前月比六千七百三十世帯増)で最多を更新し続けている。
九日の発表で生活保護の受給者数が過去最多を記録した背景には、雇用環境の悪化で働き盛りの世代が職を失い、多くが「働きたくても働けない」状態を余儀なくされている事情がある。東日本大震災などの影響で、事態はより深刻化する可能性もある。
従来、生活保護受給は高齢者が大半を占め、働き盛り世代は少数だった。様相を変えたのは二〇〇八年秋のリーマン・ショック。同年末には都心に「年越し派遣村」が現れたほどだ。以降、働ける年齢層の「その他世帯」が一気に増え、〇七年度から二倍以上に拡大した。
だが労働市場は狭まるばかり。有効求人倍率は〇七年度平均の一・〇二倍から〇九年度は〇・四五倍に低下した。政府が今年十月に始めた「求職者支援制度」は職業訓練を通じ就労に結び付ける試みだが、これほど雇用が低迷すると実効性に疑問符も付く。
もちろん高齢者の貧困防止も大切だ。年金、医療を含め社会保障全体の機能強化が求められる。

以上、東京新聞より引用
http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/news/CK2011110902000188.html

2011年10月17日月曜日

盛り上がらなかったOCCUPY TOKYO

9月17日、米国のニューヨーク・ウォール街で始まった大規模抗議行動。
彼らは、プラカード代わりのピザの箱や段ボールで「我々は99%だ」「1%の大金持ちのせいで私たちは苦しんでいる」「富める者に税金を。貧しい者に食べ ものを」・・と訴えています。それは格差社会への痛烈な批判であり、貧困と格差が広がりきった米国社会への抗議でもあります。

この運動は、インターネット上で次々と呼び掛けられ全米はもちろん全世界へと広がっています。そして、日本でも、日比谷公園、六本木、新宿などで、 合わせて300人くらいの人が集まったそうですが、それほどの盛り上がりはなかったようです。とてもOCCUPY!といえるほどのパワーはなかったようで す。また、実際には労組などが中心で、若者は少なかったともききます。(真偽のほどはわかりませんが)

しかし、アメリカやヨーロッパに比べれば、日本の若者は静かです。これだけ世代間の格差や不公平があっても、自らデモや抗議行動にも出ないし、政治に働きかけることもしません。それは、国民性か、無関心か、それともあきらめなのでしょうか。。。


日本もアメリカと状況は同じはずなのに・・・。

メディア報道などから数字を拾ってみました。必ずしも正確ではないかもしれませんが、概ねの傾向は合っていると思います。

アメリカ
・貧困率は15.1%。
・失業率は全体では9%を超え、25歳以下に限ると18%。
・日本同様、非正規雇用の増加も問題になっている。

日本
・09年の日本の貧困率(年間可処分所得112万円以下の人の割合)は16%。
・失業率は全体で4.3%。25歳以下では8%。
 (日本では求職活動をしていないと失業者に数えない。アメリカ式に統計をすれば失業率はもっと高い)
・非正規雇用率は38.7%。24歳以下では半数近くが非正規雇用。

これを見れば、若年層が皺寄せを受けているのは、日本もアメリカと変わりません。数字だけ見れば、日本でもアメリカと同じような怒りが社会にぶつけられてもおかしくない状況です。
それなのに、なぜ、立ち上がらないのでしょうか?

若者論に通じる識者4人の見方。

日経新聞WEB版で、このテーマを取り上げていました。「日本の若者はなぜ、立ち上がらないのか。若者論に通じる識者4人に聞いた。」という企画です。それをダイジェストしてみます。

中央大学文学部・家族社会学 山田昌弘教授(53)
「若者が立ち上がらないのは、不満がないから。将来を考えれば不安はあるが、今は楽しい。これが大方の若者の本音ではないか」
「日本では親との同居、いわゆるパラサイトが多いので、住宅にも困らず、食事も出来る。こんな環境にあっては、デモなんて考えもしないだろう。」

人事コンサルタント 城繁幸氏(38)
「デフレの進行によって、かつてないほど生活費が抑えられている。300円の牛丼を食べてケータイをいじってゲームをしている方が心地よい、という現状がある限り、大多数の若者はデモには向かわないだろう」。
「1980年代の20代よりも、今の20代の方が物質的には豊か。年収はおそらく3割程度減っているが、生活水準は格段に上がっており、この差が若者の気質に与える影響は大きい。」

神戸女学院大学名誉教授・哲学者 内田樹氏(61)
日本の若者たちが格差拡大に対して声をあげないのは、「社会がこの30年間にわたって彼らに刷り込んできたイデオロギーの帰結だ」
「今の日本の若者たちが格差の拡大や弱者の切り捨てに対して、効果的な抵抗を組織できないでいるのは、彼らが『連帯の作法』というものを失ってしまったから。同じ歴史的状況を生きている、利害をともにする同胞たちとどうやって連帯すればよいのか、その方法を知らない」
「能力主義」「成果主義」「数値主義」の結果、「弱者の連帯」という発想や、連帯する能力が損なわれた。
エコノミスト・大和総研顧問 原田泰氏(61)
「欧米に比べて失業率が高くないことも、デモが起こりにくい理由」
「欧米では若年層の失業率は20~40%。スペインでは25歳未満の失業率が8月には46%に達した。これに対して日本では高いとはいえ10%に満たない。」
「年収200万円でも暮らしていける現実があり、欧米ほど失業が深刻化していない。不満が顕在化しにくい」

団塊の世代に問いかけたい。

この記事は反響を呼び、さまざまなブログでも意見を書いている人がいました。内田氏の意見には、反論が多かったように思いますが、私は、このテーマに関しては、内田氏の以下の指摘に同意を感じます。
内田氏は、若者が働かなくなったのは「『努力すれば報償が与えられる』という枠組みそのものに対する直感的な懐疑のせい」とする。
 若者は「『みんなが争って求めている報償というのは、そんなにたいしたものなのか?』という疑念にとらわれている。一流大学を出て、一流企業に勤 めて、35年ローンで家を建てて、年金もらうようになったら『そば打ち』をするような人生を『報償』として示されてもあまり労働の動機付けが高まらない」
 内田氏は「被贈与感」の重要性を指摘する。「連帯せよ、とマルクスは言った。それは自分の隣人の、自分の同胞をも自分自身と同じように配慮できる ような人間になれ、ということだと私は理解している。そのために社会制度を改革することが必要なら好きなように改革すればいい。でも、根本にあるのは、 『自分にたまたま与えられた天賦の資質は共有されねばならない』という『被贈与感』。そこからしか連帯と社会のラディカルな改革は始まらない」「今の日本 社会に致命的に欠けているのは、『他者への気づかい』が人間のパフォーマンスを最大化するという太古的な知見への理解」
 さらに内田氏は次のように説明する。「もともと日本には、弱者をとりこぼさないような相互扶助的な社会システムが整っていたのではなかったか?  そのような『古きよき伝統』に回帰しようというタイプの主張を若者たちが掲げたら、大きな『うねり』が発生する可能性がある」。ただ、今の日本の若者たち は「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるようには思えない」
以上、日経WEB版より引用
ただし、上記引用の中で、『日本の若者たちは「あまりに深く米国的な利己主義にはまり込んでいるので、そういう『アイデア』は彼らからは出てくるよ うには思えない」』という部分には同意しません。グローバリズムは蔓延していても、日本の若者は日本人ならではのDNAを持っていると思います。アメリカ のような抗議のスタイルではなく、日本は日本なりの社会へのコミットメントが出てくることを期待しています。

ところで、私は、今の日本の若者たちがおかれた状況を、識者ではなく普通の団塊の世代の人々がどう考えているのか聞いてみたい気がします。彼らの状況を憂う前に、その状況を作ったのは自分たちを含む上の世代であることを認識し、彼らにどうすれば希望を与えられるかを考える人たちは、どれくらいいるの だろうか?と思います。まじめに考えれば、それは諸刃の剣になります。

もしも、今の若者が社会意識に目覚め、デモを始めるようになったら、その中心対象は団塊の世代に向けられるでしょう。その時、かつて学生運動で社会に抗議した団塊の世代の人々は、どう感じるのだろうか?そのことに、とても興味があります。

<参考>
OCCUPY TOKYO
「日本の若者はなぜ立ち上がらないのか 内田樹×城繁幸×原田泰×山田昌弘」日本経済新聞サイトより